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活動レポート(活動のご報告) 活動レポート(活動のご報告)
2006年

【災害時要援護者の平常時からの備えについて考える】

〜人工呼吸器装着患者の個別災害対応マニュアル作成から〜


福崎健康福祉事務所難病対策連絡調整会議が標記テーマで行われ、助言者として参加しました(平成19年2月8日)。健康福祉事務所の保健師より、管内の人工呼吸器装着患者さんと介護をされているご家族、そしてそれを支える在宅ケア関係者とともに、災害時の個別対応マニュアルを作成した経過について報告があり、これを受けて、保健師と支援関係者の間で、この経験を災害への備えの取り組みとしてそれぞれの立場でどのように生かすかについて、意見交換が行われました。災害発生時、人工呼吸器など高度医療機器を使用中の患者さんは危機的な状況におかれますが、いつおこるとも分からない災害を想定してふだんから備えておくことにはなかなか至らないのが現状です。実践報告からは、個別対応マニュアルを共に作成していくプロセスが、ご本人と介護をしているご家族、そして支援者もともに災害に対する意識を高めることにつながったことが確認されました。(報告者  牛尾)

 

2006年
【延岡市竜巻災害による健康問題の現状】


平成18年9月17日の日曜日、台風13号が宮崎県内を巻き込みながら九州の西を北東へ進行していました。同日午後、3つの竜巻が宮崎県を襲い、その内の1つの竜巻(幅150から250m、直線距離7.5km)が延岡市を襲いました。移動速度は20m/秒、70km/時の速さでした。

この竜巻による被害状況は、負傷者は死亡された3人を含め146人、被害家屋は765世帯と言われています。被災者に現在、生活・健康面でどのような問題があるのか、それに対して支援させていただけることはないか、また今後竜巻災害が起こった際どのように活動していけばよいのかを考えるため、11月10日初動調査へ行きました。

私たちが伺ったときには発災より7週4日経っていましたが、延岡市には未だ竜巻の爪あとが残っていました。
愛宕山展望台からみた延岡市には修理中、あるいはまだ手さえつけられずにいる家々がブルーシートで覆われ、竜巻の通り道を記すように見うけられました(写真1、2)。

写真1
写真1、愛宕山展望台からみた延岡市

写真2
写真2、被災家屋
 
竜巻災害が起こった直後から数週間は、瓦礫、ガラスの海と化し、ガラスなどにより負傷した被災者を病院へ搬送する行く手を阻んでいたと聞いていた道は、片付けられていました。実際に被害を受けた家々を見ますと、一見復旧したように見られる家でも、まだ家の中は片付いていなかったり、雑巾できれいに拭いたはずの箇所をしばらくして拭くとまたガラス片が出てきたりします。それらを見る度、被災者は被災当時のことがフラッシュバックしてしまい、不安、恐怖を再体験します。また、被災者は少しの物音でもまた竜巻が襲ってきたらと思うと不安になるということを言われています。更に、竜巻災害の特徴として、被害が面ではなく線で起こります。同じマンションに住んでいても、隣の部屋は被害にあっているがそれ以外の部屋はまったく被害に遭わないこともあります。台風などある程度面で被害に遭った場合は、隣近所で話し合い、共有、共感することができます。しかし、竜巻災害の場合はそれが難しくなります。また、被害に遭った人たちが引越しをしてしまうことで残された近所の方は寂しく不安を抱くといった問題も浮き上がってきました。この問題へどのように支援していくかということが新たな課題ではないかと考えています。

身体的問題としては、ガラスなどによる細かい傷が多く、傷の幅は小さいにもかかわらず深いという特徴が挙げられます。最近では竜巻が頻発しておりますが、現在は予測が難しいといわれています。もし、起こってしまった場合、シェルターに隠れるということを海外ではしているようですが、日本にはそのようなものが設備されていることは少なく、現状では地上から低いところ(例えば側溝など)に身を屈めるということが簡単で有効と考えられています。
2006年
【宮崎県の台風14号−水害から生じる健康ニーズには何があるのか?−】

2005年9月上旬、ゆっくりと進む台風14号の接近により、長時間にわたり九州全域で雨が降り続けた。宮崎市は、大淀川(一級河川)の長雨による氾濫を阻止するために、支流の水門を閉鎖し、くみ上げポンプにより水を処理しようとしたが、雨量(総雨量は1300mmを超えた)の方が増し支流の氾濫を引き起こした。
この台風による被害の一番大きかったのは宮崎県であった。宮崎県の死者不明者は13名で、全国29名からからみると約半分を占める。物的被害では、全壊1,031棟、半壊2,679棟、一部損壊365棟、床下浸水2,179棟、床上浸水2,110棟で、宮崎県の豪雨による災害としては、全災害種を通じて1971年以降最大となった。宮崎県全域では50,480世帯に避難指示が出され、15,161世帯に避難勧告が出された。

台風銀座といわれていた宮崎市は日頃から台風に備えた準備をしていた。今回も、ハリケーン・カトリーナ以上の台風ということで各施設では前日の9月5日より待機者を確保し、対策を講じていたが、多くの地域でこれまでにない被害を招いた。

この台風14号から約2週間後に宮崎市内の医療機関と看護専門職能団体に協力を得て初動調査を実施した。被災地の看護師らは、救護所での看護活動、被災病院の片付け、被災地域への個別訪問活動を展開していた。

具体的には、9月8日から、救護班を結成して交代で、各地にあるボランティアセンター内の救護所に入っていった。救護班は、看護師二人組みで、ボランティアコーディネーターのもとで、3ヵ所の救護所でケアをしていった。家の片付けやボランティア活動中に外傷を負った人のケアや(釘を踏み抜く、爪が剥げる、膝などをうつで、皆片付けに必死になっているのでケガに気づかずにいることが多い)、日中は30度を越える炎天下の中での片付けをするため、熱中症対応をしていった。

水害の場合は、小さな傷でも、翌日には化膿しており、汚染された物を扱っているので消毒をしっかりとする必要がある。市内の病院は浸水により外来が機能できない地域もあり、救護所が開設され、応急処置をすることだけでも医療従事者が待機していることは、安心感につながっていた。また、水害時には、水に浸かった全ての物を汚染物として取り扱うことになり、人々の喪失感が大きい。さらに、一瞬にして水が上がってきたので対処する時間がなく、家や車などの財産を失い、将来への不安が強い人もいた。この他にも、清潔を保つことができず皮膚疾患が増加すること、水を含んだ物の片付け等による整形外科的な疾患が多くなることなどの健康ニーズがある。
2006年
【福岡西方沖地震の初動調査−自治会や住民を主体とした仮設への転居−】

2005年3月20日午前10時53分福岡西方沖でマグニチュード7.0の地震が発生し、福岡市中央区などで震度6弱が観測された。この地震では、ビルからのガラスの崩落が大々的に報道された。震源地に近く、最も被害の大きかった玄界島の島民は福岡市に避難をし、4月25日から仮説住宅への入居が始まっていた。

地震発生から約1ヵ月半後の5月11日(水)に、福岡市内の「かもめ仮設住宅」地域を訪問した。そこには、玄界島で被災をした高齢者や子どものいる100世帯が住んでいた。従来から、島の中で学校や保育所が終わっても夕方まで遊ぶという生活をしており、ここの仮設には敷地内に保育所も建設されていた。

博多湾に面して建設された「かもめ仮設」は、漁師の方にとっては、海が近くにあり、自分の船で行き来ができることと岸壁から釣り糸を垂らすことも可能ということで精神的に安定感が得られていた。

また、阪神・淡路大震災時には高齢者等を優先的に入居させてかえって偏った仮設地区ができたことがその後の復興過程で非常に困難であったことや、全村避難をした新潟県中越地震の山古志村のケースもあり、入居については、自治会や住民に主導をとってもらうようにした。具体的には、福岡市は、かもめ仮設と玄界島仮設の見取り図をはじめから渡し、誰がどの棟に入居するのか、隣は誰になるのかなどについて決めてもらった。

写真1

写真1

かもめ仮設内の保育所である。この仮設は、もともとは市民向けの港公園で、岸壁に近く釣りもできる。島からは自分の船で乗りつけられる場所であり、漁業の町であった島民からは好評の場所であった。


写真2

写真2

被害の大きかった地域(福岡市西区西浦地区)では、瓦葺の屋根にブルーシートがかかった家が目立ち、あちこちで修理を行っていた。

 
家族構成員の多い家族や少ない家族がいるので、それらを全て自分たちで割り振りをしてもらっていた。数に限りがあるので多少は希望が通らなかったことの不満は聞かれたが、ほとんど問題にはなっていない。この仮設住宅では、もともとの隣保関係がそのままに近い形で住みあっているということであった。このことは、日頃から声を掛けあいながら生活をしてきた住民同士の絆(共同体意識)が崩されることなく、仮設住宅でも暮らすことができることにつながった。この仮設でも、皆がお互いに気にかけながら生活をされていた。

このような配慮をした結果、仮設住宅に入居したことで、地震後に血圧上昇ぎみであった人が、平常値に下がった人もあり、健康状態は比較的良いということであった。更に、玄界島では診療所しかなかったが、高齢者の中には、福岡市に来たら医療機関の利用も便利になり、ショッピング等も楽しめると社会との交流も進んで行われていた。被災地域のコミュニティや住民一人ひとりを尊重した災害後の支援のあり方ではないかと思う。

この他にも、島には信号がないために、子どもたちが学校に通うのに交通安全教室を実施し、実際の学校への登下校は島の教員が引率をするなどの細やかな配慮もされていた。


 
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